2008年12月4日木曜日

真言宗へのメール 姿勢と密教のことなどを少し、、、

中村光観様 返事が遅くなり申し訳ありません
ネパールより戻りあらためて光観様のメールを熟読させていただきました
そこには「お大師さま」の姿勢がありその真言を定義するものが述べられているようですね 部外者の私が言うのは変かもしれませんが 非常に簡潔でいて的確な言葉と感じています 要するにお大師さまは宗教団体として大きくしたいなんて考えていなかった 伝えたいことがあった それがどのようなものかを言葉で形容するのは困難であっても確かに伝えたいことがあった それがつまり真言密教ということなのだと受け取りました 

ところで
「基本的な真言密教の教義の一端を説明させていただきました」とありますが それは空海の意思していた姿勢であり すなわち空海の意を継がんとする者たちの姿勢であるとも考えてよろしいでしょうか?
それは中村光観様の姿勢であり現在の高野山真言宗の姿勢でもあると考えてよろしいでしょうか?

光観様 私は真言密教についての知識を何も持ち合わせておりません それでも密教という言葉から私なりに感じるものがあります 私は自身の経験から人には表面の言葉だけでは伝わらないものがある 残念ながら人は同じではない 人にはステージの違いがある 意識レベルに差がある ということに気づいた者です そのときどうやって伝えるか 直接語れないことがあります 語ってしまってはその意味を失う言葉があります 密教というのもあるいはそういうものなのでしょうか?

私はふたつのブログを持っています ひとつのブログでこのメールの内容を公開しています もうひとつのブログでは真言宗とのやり取りがあることを紹介しています それは私の責任で私が勝手にやっていることです もしご迷惑な点があればご指摘ください
http://cashewchand.blogspot.com/
http://ameblo.jp/yamasaki117/

光観様 以心伝心 どのように伝わるのかは存じませんがお付き合いいただければ幸いです

それから
「音(響き)そのものを伝えているという側面もあります。」ということですが 私 笛を吹くので音そのものに違いが出るのは知っているつもりです そして 人の言葉の中にも時に響きの違う言葉が出ることがあるのを知っています 私が自身の記事で取り上げている家人の言葉やグプタの言葉にそういうものがありました ただこれは音そのものですからさすがに言葉では表現できません 胡散臭く思われるのは嫌いな性分なので、、、いつか実際に光観様そして真言宗の皆様煮にそういう響きの違う言葉を耳にしていただく機会があれば それをどう思われるだろうか? 私はそのことにとても興味があります                           2008年 12月 4日
山崎一夫

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