2013年7月15日月曜日

横浜某所での面接



 先週はホントに疲れました 1週間ほとんど出ずっぱり 書きかけの記事が二つあるんだけど 終らせることが出来ないでいます こんなの書いてないで書きかけのを続けるべきなんだけど ちょっと先に書いておきたいことができて、、、、 先週の金曜日なんですが就職のための面接に2件行ったんです 三鷹と横浜でした

 簡単に近況を説明すると今の私は週に何日かは就活のために使ってます 台東区役所の就労支援のKさんがえらく真面目で熱心な人なんですよ 相手が真面目な人だとこちらも真面目に応えなきゃいけないって気持ちになってしまうんだよね まあ私も福祉で生活の面倒見てもらうだけってのはこころ苦しいしね(それとは別の見方もあるのですがそれはおいといて) だもんで私はパートで週に2日ぐらいの仕事を中心に探してます 業種は介護関係で、、、 
 
 12日に面接した三鷹と横浜も介護関係の業種です 三鷹の方は平均的(?)な対応で就職には繋がりませんでしたが まあ 可もなく不可もなくで特にこのブログに書きたいような内容はありません でも横浜で受けた面接はちょっと面白かったんですよ その話をします


 横浜駅から私は電話しました
「****さん(会社名)ですか 今日 面接を受ける者です 今西口にいるのですがバスがたくさんあってどのバスに乗ればいいんですか? **町を行くバスはあるんですがそのバスが***町へ行くのかどうか待ってる人に聞いても誰も知らないんですよね」
「そうでしょうね バス待ちの人じゃ分からない 分かる人に聞かないと、、、」
「、、、、係りの人を探して聞いてみます」

「2社の運転手に聞いたんですがどちらも***町って言うバス停を知らないって言うんですよ ***町って言うバス亭は確かにあるんですか?」
「ありますよ **系のバスにあったはず」
「、、、、分かりました **系のバスを探します」
<それを先に言えよ> と思った 横浜駅西口には10幾つのバス乗り場があり複数のバス会社が乗り入れている しかも主な停車駅しか表示していないところが多く 単にどこどこのバス停で降りてくれと言う指示だけでは初めての人間には皆目検討がつかない この面接担当者は何考えてるんだ <もう帰ろうかな> とも思った 

 ***町のバス亭に着いたと電話した しばらくして誰かと携帯で話しながらこちらにやって来る男が見えた 2,30メーターの距離でこちらを見つけて手を挙げた そしてすぐに回れ右して戻り始めた <ついて来いってか> 私は彼の後に続いた 着いたのは新しそうな一軒家 荷物の入っている様子は見えない 案内されて入ったのはこじんまりとした部屋 本来はキッチン? 椅子が三つとテーブルの上にラップトップが3台あった 私は示された椅子に座った 私の前に座った彼はリラックスした服装で無精ひげが目立つ 上杉隆風と言うところか 私はハローワークの紹介状とパソコンで書いた履歴書を渡した

「勤務地はどこを希望するの?」
「幾つもあるんですか?」
「ここともう一箇所 実際に入居者を入れるのは9月以降になるんだけれどね」
「私はどこでもいいです 通勤可能なら」
「どうしてこの仕事をやろうと思ったのかな?」
「私は生活保護をもらっていて現在のところ生活には困っていないのでどうせなら自分が納得できる仕事をしたい 自己満足かもしれなくても人の役にたってるかと思える仕事がいいので、、、」
「生活保護っていくらもらえるの?」
「8万3千円ほどです 住居費は別で」
「住居費別で8万と言うと悪くないね」
「そうですね 私は酒もタバコもやらないし贅沢するタイプじゃないので正直言ってお金が余ります」
「食費だけしか使わないなら半分余るんじゃないの」
「、、、、、、、、」

「どういう仕事が長かったんですか?」
「もともとは営業です 30代半ばで思うところがあってインドに行きそこが気にいってしまってそれ以後は定職にはついていません 派遣で工場仕事をしたりみやげ物屋さんでバイトしたり土方やったりとかでお金がたまればインドに行ってましたから」
「どうしてインドへ行こうと思ったの?」
「個人的な事情で」
「インドのどういうところがいいの?」
「、、、、価値観が私に合うようです」
「どういう風に?」
「、、、、<こいつ しつこいな>、、、私は日本で価値観を見失っていたんですよ で自殺未遂があってインドに行ったんです そこでものの捉え方が変わったんです 人と比べてではなく自分はどうしたいかを中心に考えるようになったという感じです 例えば以前だと土方というとそれだけで負の感情を持っていたのが何とも思わなくなったりとかですね」
「、、、、、、、」

「生活保護を受けながら仕事をするとどうなるの?」
「仕事で得た賃金の半分が自分のものになります 得た賃金の半分が保護費から引かれるということです だからお金にはこだわっていません お金よりも時間にこだわりたい」
「どうして?」
「個人的にやりたいことがあるので」
「どんなこと?」
「、、、、自己主張的なことですよね」
「どういう感じの?」
「、、、、<こいつ ホントにしつこいな> 、、、私 前科者なんですよ 大麻所持で捕まって以来そのことで争ってます ブログをやっているのでそこに大麻関連や自分の人生に関することをいろいろ書いてます」
「なんていうブログ?」
「やまのブログ」

 それからは何年入ってたの?とか 大麻吸うとどうなるの?とか 単に大麻を持っていたのが事実なら法律違反で終わりじゃないの?とか 生活保護を出してる役所の人はこのことを知ってるの?等のこの「やまのブログ」の古くからの読者の皆様にとってはいまさらの話になったのだけれど 私が刑事裁判だけでなく行政訴訟もやっていることを知ると次のようなことを言った
「私はここの経営者なんですよ 経営者としてはいろいろ難しい問題があって例えば夜勤では休憩が3時間あるんですが だからといって寝られては困る 相手は認知症等の老人たちです 何があるか分からないから起きててもらうことになります それじゃ休憩にならないと賃金を払っていくと経営がなりたたない 私としてはめんどくさいことは避けたいし、、、」
「?、、、<私が行政訴訟をやってると聞いて矛先が自分に向かうかも知れないと恐れたか>、、、誠実に対応してくれれば私も誠実に応えますよ」

 一通り私への質問が終った後 彼は自分の意見を言い始めた
「私 あなたのような人 嫌いじゃないんですよ むしろ面白いと思う 私の付き合いの中には覚せい剤で10年入った人もいるし逆に捕まえる側の人もいます 両方いるんですよ 私も若いときには大麻をやったこともあるしね」
「、、、、、<こいつ 知ってて>、、、、」 
「私は法学部だし 裁判も分からなくないし 駐禁貼られても素直に払ったことがないタイプだし」
「、、、、、<駐禁は素直に払えよ>、、、、、」
「長い間 調査業をやっててね だからいろんな業界の表も裏も知ってるよ」
「、、、探偵さんなんだ、、、、」
「私はあなたのような人 嫌いじゃない でも経営者としてはリスクは背負いたくない」
「迷惑をかけるようなことはしないつもりですが」
「うん それは当然だけどさ 私としてはリスクを回避するためにもあなたをもっとよく知りたい それで提案なんだけど 交通費は払うのでしばらくボランティアでやってみない?」
「、、、<おい ただでこき使おうってか>、、、」
「あなたをもっと見たいんだ どうかな?」


  現実の私に会ったことがなくブログを通しての私しか知らない人の中には 私のことを理詰めで整然と言動する人のように思ってる人もいるかも知れませんが それは違いますからね ブログを書くときには考える時間があるのでどう表現すれば読者に伝わりやすいかを練ることができる 伝えるためにこそ論理を大事にしているわけで そして分かりやすくするために整然とした文章になるように心がけているだけです 実際の私の言動は論理よりも感性が優先します 論理は見つけるのに時間がかかりますが感性は一瞬だからです(それで失敗もしますけど)
 ボランティアでやってみない? と問われたときも感性でOKしました

 後から自分の心を分析してみると どうして私にボランティアをする義理があるんだと癪にさわるのですが それ以上に興味があった 仕事にではなくこの探偵さんの経営者にです 私も彼のようなタイプは嫌いじゃありません 外見にはこだわらない自由人タイプのようです 求人票に「髪型は自由です」という言葉があるのですがこれが彼の性向を表しているんでしょうね おそらく彼は私と逆タイプではないかと思う 逆タイプと言うのは私は完全に内向きのタイプなのだけれど彼はおそらく外向きのタイプではないかという意味ですが  

 私のようなタイプには野心がありません よくも悪くも野心はないのです 私は自分に牙を向けたものに対しては黙ってはいませんがそうでなければ基本的に静観する 自分から積極的に他者に絡むタイプではないのです 自分の内々で満足するタイプなので野心に縁遠い 
 初対面でここまで私に絡んできたのは彼が初めてです 面接する者という立場と調査業を長くしていたということが影響しているのだろうけれど それにしてもね そして私はそういう彼を面白いと感じている 彼が私をもう少し見たいと言ったように私も彼をもう少し見て確認したいことがある 

 とりあえずボランティアで始めるのに私が了承したことを受けて彼はこう言った
「でも ボランティアだからと言っていいかげんなことはしないでくださいね それからこのことについてどこかから問い合わせがあれば私のほうできっちり説明しますので」
 自分のやり方に自信がある ということなのだろうな

 話がついてから名詞をもらった
「仕事は9月からですね?」
「いや その前にお願いすることになると思います でも就職活動はそのまま続けてもらってけっこうですよ」
「ええ、、、、」
「でも他への就職は難しいんじゃないかな たいていみんなあなたのことを知ったら敬遠するんじゃないですか あ いや こういう話 しなければいいのか」
「、、、、、<こいつ ボケてんのか>、、、、、それじゃ 必要なときが来たら連絡してください それでは失礼します」

 就職のための面接で私に前科があることや大麻の話をしたことはこれまでに一度もない おそらくこれから先もないだろうと思う この元探偵の経営者さんは自分がしつこく聞いたから私がゲロしたってことが分かってないらしい
 就労支援のKさんが言う 
「山崎さんは話し方も穏やかだし刑務所なんてイメージはまったくないですよ 面接でもそういう話をする必要はないですからね 面接者は人の細かいプライバシーまで聞いてはいけないことになってるし話さなくていいですからね」
 実際 面接担当の人はそんな細かいことは聞いてこない 大企業の面接ではない 年齢不問 経験不問 資格不問の面接で人間性に触れる質問を続ける人は この元探偵さんだけだったよ



 山下さん 見てくれているでしょうか 私はこういうブログを書いています 自分の人生をさらすことで私という人間がここにいることを証しています そこには私に絡む人たちも出て来ることになります 顔写真の出る人 名前の出る人 その言動の出る人 いろいろですがそれらはすべて私の自己責任の自己判断で行っています そしてそこに私の人間性が出るだろうと考えています 私をどう見るか その判断は読者の皆様に任せるものです
 今回の記事によって山下さんは突然に私のブログワールドに登場することになりました 私の独断です あるいはご迷惑だったかも知れませんが申し訳ありません あきらめてください 
 山下さんがこの記事 そして私のブログの全体像を見て いいんじゃないの と受け入れていただけたなら幸いです 先日の面接はあなたと私の運命的な出会いになるかも知れません
 そして もし 山下さんの内に私のブログを見ることで負の感情しか湧き上がって来ないようなら もう私には近づかないようにするのがお互いにとって無難だろうと思います 
 判断は山下さんにお任せします


2013年6月27日木曜日

自意識 その2

 先日履歴書を書いたのですが えらく苦労しました いつもは履歴書なんか適当にごまかしてちょこちょこっと書くのですが 今回は事情があってそうはできなくて ならばと逆に嘘やごまかしのないのを書いてみようと思ったのですが、、、、 思い出せない あそこはなんて名前だったか記憶を探るけど出てこない あそこで仕事したのはいつだったかとか記憶をたどるんだけどあやふやであやしい
 ブログで再々言ってるように 私は自意識に触れたことは鮮明に覚えています しかし自分が特に意識しなかったことはどんどん忘れていってしまうようです 印象に残った人や出来事については覚えていても自分が興味を持てないことはほとんど憶えていない、、、、おそらくこの点では あなたも私と似たりよったりではないかと思うのですが 違うでしょうか
 インドや大麻を知る前の私は自分というものを他者との比較で捉えていたようです 他者との比較といえば学校の成績とかノルマの達成率とかが分かりやすいところですが 比べようと思えばいろんなものを比べられるます 足の速さでも友だちの数でも 「自分が何を比べているか」にはその人の価値観が表れているでしょうね なんにしろ人と比べるとそこに優劣が出てきます そして自分は人より優れているという優越感 人より劣っているという劣等感 が生まれてくる

 私は劣等感を非常に強く感じていました その主な原因は学校の成績とかではありません もともと勉強に興味がなかったこともあり成績とかはあまり気にしてなかった スポーツの出来不出来でも喧嘩の強さでも人気のあるなしでもなかった 私の劣等感は自分の性格に由来するものでした
 私は小学校を卒業するのに7年かかってるんですよ 登校拒否をしてそうなりました 中学校は3年で卒業できましたが実質2年しか通ってません その時 家にやってきた教師(担任ではない)が母親にこう言ってたのを覚えています
「この子は小学校で落第してますから 今回は進級させますが、、、、」

 現代は登校拒否児童への対策もそれなりに整っているのかも知れませんが私が子供の頃は登校拒否は珍しかったみたいで対応に困っていたようです 児童相談所に預けられたり催眠術師のところに連れて行かれたり(かかりませんでした) そして結局のところ家では育てられないと養護施設に入れられることになったのですが、、、、
 一言で言えば学校社会に溶け込めなかったんですね 養護施設でも私は陰々滅々でした 明るく人と話すことが出来ない 知らない人がいるとどうしていいか分からない 自分はどうしてこうなんだろう? 劣等感の塊でしたよ そして自分の殻に閉じこもる

 高校に入ってからは少し楽になりました 嫌ならやめればいい どうしてもそこにいる必要はないと思えたからかも知れません 実際に私は高校の授業をよくサボってました 嫌いな授業は出ない(よくそれで卒業できたものです) 人付き合いは相変わらず得意ではありませんでしたがそれなりには対処できるようになりました というか家の事情があって引っ込んでるわけにいかなくなりました 高校を終える少し前に父親が倒れて病院へ(父親はそのまま入院して2年後に死にました) 家が金持ちでなかった私は進学を止めて急遽就職することになり それが営業職 その後に会社は移りましたがずっと営業職で10年ほどやりました 他業種の仕事を探すという発想がなかった 違和感がしょっちゅうありました 私は社会と馴染めない 面白くない でも 面白くないからといって自分で世界を面白くすることも出来ない

 母親は病弱でした 生きてる間は放っとくわけにもいかないので生活のために仕事していた 面白くないと思いながら、、、その母親が死んで 私はなにもしなくなりました やりたいことがないんです 世界に意味が見出せない つまらない 何のために生きているのか分からない 生きる意味が分からない 死んでもいいように思った でも死に対する恐怖がありました だからビルから飛び降りるなどの積極的な自殺は出来そうもなかった でも楽に死ねるなら、、、 眠ってそのまま目覚めない死なら 大丈夫だと思った 

 でもうまくいかなかった それでぜんぜん知らない言葉も通じない外国へ行こうと思った ガイドブックを見てまずタイへ行ってそれからインドへ行くつもりでHISに切符を頼んだのですが担当者のミスでいきなりインドに行くことになりました インドに着いた翌日に旅行者の三種の神器(パスポート、TC,帰りの航空券)を盗まれるという洗礼を受けてそして大麻に出会って 私は変わってゆきました

 すいません 自分のことばかり話していて読者の皆様には面白くないかも知れません この後は話の方向が変わるのでこのまま読み進めていただければ幸いです
インドと大麻で変わったのは自意識の捉え方でした 他者と比べることで自分を捉えるのでなく 自分の気持ちを中心に自分を捉えるようになりました 

 以前ならば同じクラスあるいは社内で周りの人たちが楽しそうにしている時 そこに入れない自分を見て落ち込んでしまうことがよくありました みんな楽しそうにしているのにどうして自分は、、、、、という感じなのですが それがすっかりなくなりました 自分は本当にその中に入りたいのか? に重きを置くようになったからです それまでは外見的には自分が仲間はずれになっているように見えて疎外感を持っていたのが 自分の内面を重視することでそうでもないことが分かってきた 結果自分の周りがどうであるかに関わらず超然としていられるようになりました 私は私とマイペースで周りとの距離感を持てるようになったということです

 そんなの何てことないじゃないか と思われる方もいらっしゃるだろうと思うのですが 私はその何てことないことが出来なかったのです 人はそれぞれであり同じではないということが理解できていなかった みんなと同じように楽しめない みんなと違うということが劣等感に繋がっていたようです

 人はそれぞれであり同じではない のは当たり前のことで言葉としては私も分かっていたはずですが 実際に自分の身にはついていなかった そしてさ こういうのは私だけでなく 世の中にこういう人が少なからずいるように思うのです じゃないですか?
80年代の終わりから90年代初めにかけてインドを旅していた頃に出会った人たちから「役割」という言葉を何度も耳にしたのですが <分かるな> と思ったものです 人はそれぞれであり同じではない 人は他人 私は私だ ということを言葉の上だけでなく気づくと では 自分は何をしたいのだろう 自分に何ができるのだろう 自分は何を求めているのだろう いわゆる「自分探し」の旅になってゆきます インドを旅する人に多かったように思います だから「役割」という言葉になって出てきたのだと思っています

 自分の役割を見極めるためには自分を知る必要がありますね 日本は一応仏教国なので「自分を知る」ことが悟りにつながるものでとても大事なことだというのは 知識としては頭にあると思います お釈迦さんがどのように自分を知っているのかは私には分かりません でもね それは逆にこうも言えるでしょう もし仮にお釈迦さんがこの現代にいたとしてそのお釈迦さんにはこの私がどのように「自分を知る」のかは分からないでしょう なぜならば「自分を知る」というのは極めて個人的な問題だからです 

 当たり前ですよね 人はそれぞれで同じじゃないんですから どうしてその人がそのようにあるのかはその人自身で探求しないことには分からない 冒頭に戻りますが私は自分の自意識に触れた出来事はよく覚えています あなたも同じだろうと思います 自分を知るためには自分自身で自分を見つめなおすしかありません 当たり前のことをくどくど言ってすいません
余計なお世話かも知れませんが 少しだけ言っておきます あなたの望むものはきっと幸福なのだろうと思います そして 幸福と言うのは愛情に包まれるときに感じるものだろうと思います 
 あなたが幸福でさえあれば「自分を知る」のは特に難しくありません なぜなら必要以上の欲に惑わされないからです あなたが本当に望んでいる幸福を知ったなら それ以外のあらゆる誘惑にも冷静に対処できるだろうからです 

 私はバシストを見ることで幸福はファミリーの中にこそ存在すると知りました 仕事やお金はファミリーを維持するためのものです 勘違いしてはいけませんよ 勘違いして仕事やお金を目標にするとせっかくの幸福が逃げてしまいます くれぐれも気をつけましょう

 私はバシストを見ることで幸福はファミリーの中にこそ存在すると知りました そして同時に 不幸もファミリーの中にこそ存在すると確認しました 私ははっきり覚えているのですよ 両親が健在だった頃の自分が何を思っていたかをはっきり覚えているのです 小学生の私が泣きながらさけんでいました「なんでケンカするんやあ!」冷たくて暗いファミリーでした 
 幸福も不幸もファミリーしだいです 



 私の基本的な性格は子供の頃から変わってはいないようです 今 自分の人生を振り返ったときに 運命 だったのかな と感じています この先どうなるのかは やっぱり分かりませんが私は私の道を行くのでしょう 

自意識 その1

2013年5月20日月曜日

答弁書






ここに公開したのは私(原告)の提出した控訴理由書に対する国(被告)の答弁書です 

2013年3月30日土曜日