2013年6月27日木曜日

自意識 その2

 先日履歴書を書いたのですが えらく苦労しました いつもは履歴書なんか適当にごまかしてちょこちょこっと書くのですが 今回は事情があってそうはできなくて ならばと逆に嘘やごまかしのないのを書いてみようと思ったのですが、、、、 思い出せない あそこはなんて名前だったか記憶を探るけど出てこない あそこで仕事したのはいつだったかとか記憶をたどるんだけどあやふやであやしい
 ブログで再々言ってるように 私は自意識に触れたことは鮮明に覚えています しかし自分が特に意識しなかったことはどんどん忘れていってしまうようです 印象に残った人や出来事については覚えていても自分が興味を持てないことはほとんど憶えていない、、、、おそらくこの点では あなたも私と似たりよったりではないかと思うのですが 違うでしょうか
 インドや大麻を知る前の私は自分というものを他者との比較で捉えていたようです 他者との比較といえば学校の成績とかノルマの達成率とかが分かりやすいところですが 比べようと思えばいろんなものを比べられるます 足の速さでも友だちの数でも 「自分が何を比べているか」にはその人の価値観が表れているでしょうね なんにしろ人と比べるとそこに優劣が出てきます そして自分は人より優れているという優越感 人より劣っているという劣等感 が生まれてくる

 私は劣等感を非常に強く感じていました その主な原因は学校の成績とかではありません もともと勉強に興味がなかったこともあり成績とかはあまり気にしてなかった スポーツの出来不出来でも喧嘩の強さでも人気のあるなしでもなかった 私の劣等感は自分の性格に由来するものでした
 私は小学校を卒業するのに7年かかってるんですよ 登校拒否をしてそうなりました 中学校は3年で卒業できましたが実質2年しか通ってません その時 家にやってきた教師(担任ではない)が母親にこう言ってたのを覚えています
「この子は小学校で落第してますから 今回は進級させますが、、、、」

 現代は登校拒否児童への対策もそれなりに整っているのかも知れませんが私が子供の頃は登校拒否は珍しかったみたいで対応に困っていたようです 児童相談所に預けられたり催眠術師のところに連れて行かれたり(かかりませんでした) そして結局のところ家では育てられないと養護施設に入れられることになったのですが、、、、
 一言で言えば学校社会に溶け込めなかったんですね 養護施設でも私は陰々滅々でした 明るく人と話すことが出来ない 知らない人がいるとどうしていいか分からない 自分はどうしてこうなんだろう? 劣等感の塊でしたよ そして自分の殻に閉じこもる

 高校に入ってからは少し楽になりました 嫌ならやめればいい どうしてもそこにいる必要はないと思えたからかも知れません 実際に私は高校の授業をよくサボってました 嫌いな授業は出ない(よくそれで卒業できたものです) 人付き合いは相変わらず得意ではありませんでしたがそれなりには対処できるようになりました というか家の事情があって引っ込んでるわけにいかなくなりました 高校を終える少し前に父親が倒れて病院へ(父親はそのまま入院して2年後に死にました) 家が金持ちでなかった私は進学を止めて急遽就職することになり それが営業職 その後に会社は移りましたがずっと営業職で10年ほどやりました 他業種の仕事を探すという発想がなかった 違和感がしょっちゅうありました 私は社会と馴染めない 面白くない でも 面白くないからといって自分で世界を面白くすることも出来ない

 母親は病弱でした 生きてる間は放っとくわけにもいかないので生活のために仕事していた 面白くないと思いながら、、、その母親が死んで 私はなにもしなくなりました やりたいことがないんです 世界に意味が見出せない つまらない 何のために生きているのか分からない 生きる意味が分からない 死んでもいいように思った でも死に対する恐怖がありました だからビルから飛び降りるなどの積極的な自殺は出来そうもなかった でも楽に死ねるなら、、、 眠ってそのまま目覚めない死なら 大丈夫だと思った 

 でもうまくいかなかった それでぜんぜん知らない言葉も通じない外国へ行こうと思った ガイドブックを見てまずタイへ行ってそれからインドへ行くつもりでHISに切符を頼んだのですが担当者のミスでいきなりインドに行くことになりました インドに着いた翌日に旅行者の三種の神器(パスポート、TC,帰りの航空券)を盗まれるという洗礼を受けてそして大麻に出会って 私は変わってゆきました

 すいません 自分のことばかり話していて読者の皆様には面白くないかも知れません この後は話の方向が変わるのでこのまま読み進めていただければ幸いです
インドと大麻で変わったのは自意識の捉え方でした 他者と比べることで自分を捉えるのでなく 自分の気持ちを中心に自分を捉えるようになりました 

 以前ならば同じクラスあるいは社内で周りの人たちが楽しそうにしている時 そこに入れない自分を見て落ち込んでしまうことがよくありました みんな楽しそうにしているのにどうして自分は、、、、、という感じなのですが それがすっかりなくなりました 自分は本当にその中に入りたいのか? に重きを置くようになったからです それまでは外見的には自分が仲間はずれになっているように見えて疎外感を持っていたのが 自分の内面を重視することでそうでもないことが分かってきた 結果自分の周りがどうであるかに関わらず超然としていられるようになりました 私は私とマイペースで周りとの距離感を持てるようになったということです

 そんなの何てことないじゃないか と思われる方もいらっしゃるだろうと思うのですが 私はその何てことないことが出来なかったのです 人はそれぞれであり同じではないということが理解できていなかった みんなと同じように楽しめない みんなと違うということが劣等感に繋がっていたようです

 人はそれぞれであり同じではない のは当たり前のことで言葉としては私も分かっていたはずですが 実際に自分の身にはついていなかった そしてさ こういうのは私だけでなく 世の中にこういう人が少なからずいるように思うのです じゃないですか?
80年代の終わりから90年代初めにかけてインドを旅していた頃に出会った人たちから「役割」という言葉を何度も耳にしたのですが <分かるな> と思ったものです 人はそれぞれであり同じではない 人は他人 私は私だ ということを言葉の上だけでなく気づくと では 自分は何をしたいのだろう 自分に何ができるのだろう 自分は何を求めているのだろう いわゆる「自分探し」の旅になってゆきます インドを旅する人に多かったように思います だから「役割」という言葉になって出てきたのだと思っています

 自分の役割を見極めるためには自分を知る必要がありますね 日本は一応仏教国なので「自分を知る」ことが悟りにつながるものでとても大事なことだというのは 知識としては頭にあると思います お釈迦さんがどのように自分を知っているのかは私には分かりません でもね それは逆にこうも言えるでしょう もし仮にお釈迦さんがこの現代にいたとしてそのお釈迦さんにはこの私がどのように「自分を知る」のかは分からないでしょう なぜならば「自分を知る」というのは極めて個人的な問題だからです 

 当たり前ですよね 人はそれぞれで同じじゃないんですから どうしてその人がそのようにあるのかはその人自身で探求しないことには分からない 冒頭に戻りますが私は自分の自意識に触れた出来事はよく覚えています あなたも同じだろうと思います 自分を知るためには自分自身で自分を見つめなおすしかありません 当たり前のことをくどくど言ってすいません
余計なお世話かも知れませんが 少しだけ言っておきます あなたの望むものはきっと幸福なのだろうと思います そして 幸福と言うのは愛情に包まれるときに感じるものだろうと思います 
 あなたが幸福でさえあれば「自分を知る」のは特に難しくありません なぜなら必要以上の欲に惑わされないからです あなたが本当に望んでいる幸福を知ったなら それ以外のあらゆる誘惑にも冷静に対処できるだろうからです 

 私はバシストを見ることで幸福はファミリーの中にこそ存在すると知りました 仕事やお金はファミリーを維持するためのものです 勘違いしてはいけませんよ 勘違いして仕事やお金を目標にするとせっかくの幸福が逃げてしまいます くれぐれも気をつけましょう

 私はバシストを見ることで幸福はファミリーの中にこそ存在すると知りました そして同時に 不幸もファミリーの中にこそ存在すると確認しました 私ははっきり覚えているのですよ 両親が健在だった頃の自分が何を思っていたかをはっきり覚えているのです 小学生の私が泣きながらさけんでいました「なんでケンカするんやあ!」冷たくて暗いファミリーでした 
 幸福も不幸もファミリーしだいです 



 私の基本的な性格は子供の頃から変わってはいないようです 今 自分の人生を振り返ったときに 運命 だったのかな と感じています この先どうなるのかは やっぱり分かりませんが私は私の道を行くのでしょう 

自意識 その1

0 件のコメント: